2004年11月29日
節目の一服は、ニコチン補給だ
一服しないと気持ちの切替が難しい。
煙草が何かしらの節目をつけていたように思います。
煙草を吸わなくなった今、気持ちの切り替えがつかないときがあり、今までなら洗濯干したら煙草、とか、掃除終わったら煙草、と言うふうに一段落のご褒美でした。なのに、何やっても煙草が吸えないなんて・・・
皆さん、こんな気持ちありません?どうやって一段楽してらっしゃいますか?やっぱり飴とかガムですかね?
幻覚症状掲示板より【投稿者:ベンツ】
タバコが吸えないのではなく、吸わない。
気持ちは良く理解出来ますよ、殆どの元喫煙者は、同感でしょう。何をするにも、まず一服ですし、終れば一服。とても心が和む瞬間でもありました。それはニコチン依存症患者なのだから当然なのです。喫煙者は、いろいろと理由はつけますが、次の1本を吸えるまでが不安なので、吸える時に吸っているだけなのです。不安に駆られて一日中、次の1本を吸うことばかりが頭の中を支配していたのです。
しかし、禁煙という手段でニコチン依存症を治療している人は、吸いたい時も吸っていた場面でも、欲求や感情に流されることなく理性で吸わない選択をするようにしなければ、いつまで経ってもニコチン依存症は治りません。
タバコに火をつけて有害な煙を吸い込む事は、自分自身のご褒美にはなりませんよ、むしろ全く反対です。タバコの煙を体内に送り込まない事こそ素晴らしいご褒美なのです。そして、周りにいる人にも迷惑をかけなくてすむのです。
もしも家事労働で一服するなら、美味しいお茶やお水やハーブティを楽しむ方が、身体も喜んでくれる事でしょう。軽いストレッチなども気分転換になりますよ、残りの人生、タバコが吸えない事を大いに楽しみましょう。
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