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Field of View


[ピッチサイドの眼](9)

The Best Bits of Fandom

ニッポンが僕を泣かせる


敗れた代表にも拍手を送る日本人を見て僕は涙ぐんだ
笑顔でブーイングできるファンに世界は学ぶべきだ


サイモン・クーパー

 鈴木隆行が日本の今大会初ゴールを決めたとき、埼玉スタジアムの記者席では、僕の近くにいたヨーロッパ人ジャーナリストのうち半数が歓声を上げた。今回のワールドカップ(W杯)では、外国人の多くが日本を応援していた。嘘ではない。日本人のサッカーの楽しみ方に、どこか魅力を感じるからだ。
 ふつうW杯では、選手よりファンが主役になる。今大会で僕は2度涙ぐんだ。どちらも日本のファンに心を動かされたときだ。
 1度目は、日本─ベルギー戦で両チームの1点目が立て続けに入ったとき。双方のファンが跳びはねながら「アイーダ」を歌う声が、いつのまにか一つになった。偶然と思うかもしれない。でも僕はヨーロッパで25年前からサッカーを見ているが、両チームのファンが一緒に喜んだ光景はまったく記憶にない。
 2度目は、宮城スタジアムで行われたトルコ戦で終了のホイッスルが鳴った後。その瞬間、日本のW杯は終わり、歌い続けていたファンは静まり返った。
 4秒ほど沈黙が続き、拍手がわき起こった。スタンドに礼をして回るトルコの選手を、日本のファンが拍手で迎えていた。続いて日本の選手がピッチを1周すると、雨がっぱを着たファンはまた拍手した。
 日本の選手は多くが泣いていた。僕も少しだけ泣いた。自分でも恥ずかしくなったが、イギリス人の同業者から彼も涙を流したと聞いて安心したものだ。
 この日のスタジアムには「サッカーファンはこうあるべき」という要素がそろっていた。限りない情熱、チームへの忠誠、そして自由な表現。顔をしかめたくなるようなものは、何もなかった。
 トルコのセノル・ギュネシ監督も気づいていたらしい。「おい、日本人は負けたチームに拍手してるじゃないか」
 トルコ国内で、ギュネシはいつもこき下ろされている。「サッカー界の恥」「コンプレックスだらけの憶病者」などと新聞に書かれるのはいつものこと。今大会の初戦でブラジルに1─2で敗れたときも、決して恥ずかしい試合をしたわけではないのに、有名コラムニストにこう書かれた。「彼は代表監督の器ではない。2部のクラブを率いるのがせいぜいだ」
 騒いでいるのはマスコミだけではない。ヨーロッパや南米では、多くのファンがそんなふうに思っている。敗れたチームの監督と選手は犯罪者。そうでなければ、審判が犯罪者だ。
 たとえ勝っても、試合内容が悪ければ酷評される。オランダの名門アヤックスは5─0で勝ったというのに、非難の口笛を浴びながらピッチを去ったことがある。
 日本のファンは、相手に敵意をいだくことがほとんどない。確かに今回のW杯が始まってからは、日本人もブーイングをしたり、審判に向けて中指を立てたりしはじめた。でも日本人はそんなときも、ニコニコしながらやっている。
 僕が会ったある日本人は、ベルギー戦で妻と一緒に審判にブーイングをしたのが楽しかったと言っていた。ヨーロッパのスタジアムでは憎しみに顔をゆがめている人がたくさんいるが、日本人には一人もいない。

外国のチームでも応援する

 おそらく日本のファンには、「演じている」部分がかなりあるのだろう。そんなのは本物のファンじゃないと言うかもしれないが、僕は日本流のほうがずっと好きだ。クロアチアにもメキシコにも韓国にも勝てず、審判の判定について不満を言い続けていたイタリア人よりずっといい。
 イングランドのファンよりもずっといい。今大会のイングランド人はいつもより行儀がよかったが、敵意にあふれた歌をうたうのは相変わらずだ。有名な応援歌は映画『大脱走』のテーマ。第2次大戦中にドイツの捕虜収容所から連合軍兵士が脱走する映画だから、そこには反ドイツのメッセージが込められている。
 デンマークに大差をつけたときには、相手ファンに「スコットランドのまねか?」と叫んだ。スコットランドのサッカーが長く低迷していることに引っかけたのだ。
 多少は愛きょうもあるのだが、愛きょうばかりではない。ヨーロッパや南米のファンには、人をののしることなど何でもない。
 僕はイギリスの新聞に、ポルトガルのベンフィカのことを「世界で最も運営が下手なクラブ」と大げさな表現で書いた。するとその後何日も、ベンフィカのファンから口汚い電子メールが送られてきた。
 日本でそんなことは起こらないだろう。女性のサッカーファンが他国と比較にならないくらい多いから、サッカーの男くささが和らげられている。
 日本のファンは、それほど真剣にサッカーをとらえていないようにもみえる。サッカーで勝たなくては国の誇りを保てないなどと、日本人は思ったことがない。代表がものすごくうまいと思ったこともないし、それでも別に不都合はなかった。
 おまけに日本人は、外国のチームが気に入れば喜んで応援する。クロアチア─メキシコ戦では、クロアチアのユニホームを着た日本人が途中からメキシコを応援しはじめた。メキシコのほうが面白いサッカーをしていると思ったからだ。セネガル─トルコ戦でも、両国のカラーを身につけた日本人がたくさんいた。

明るく無害なナショナリズム

 日本のファンを見ていると、「ナショナリスティック」ではなく「インターナショナル」なものを感じる。日本の国旗を振って日本の国歌を歌う姿も、ヨーロッパのファンが国旗を振り、国歌を歌う姿と変わらない。というより、ヨーロッパのファンをまねしているのだ。
 日本のファンがよく歌うのは、イタリアのオペラ『アイーダ』の凱旋行進曲。スタンドは青に染まり、国旗の赤と白を着ている人はほとんどいない。僕は日本史の専門家ではないが、日本のファンに軍国主義の醜い影は感じなかった。これをナショナリズムと呼ぶのなら、無害でお気楽なナショナリズムだ。
 ヨーロッパでもファンが笑顔でチームを応援すれば、どんなにいいだろう。しかし向こうでテレビを見ているファンに、日本のスタジアムの雰囲気は届いていない。
 日本─ベルギー戦の後、僕と同じくヨーロッパから来たジャーナリストが本国の編集者に電話した。「あの雰囲気をどう思う?」。編集者の答えは「雰囲気って、何のこと?」。テレビでは伝わらないらしい。
 トルコ戦を最後に、今大会で日本人サポーターの応援を見る機会はなくなった。日本流のサポートは、まだしばらく日の目を見ないのかもしれない。

ある日本人の夫婦はベルギー戦で審判に向かって
ブーイングしたのが「楽しかった」と言う

Simon Kuper

パリを拠点に活動するイギリス人サッカージャーナリスト。著書に『サッカーの敵』『ワールドカップ・メランコリー』がある。  サイモン・クーパー氏の著書 by amazon.co.jp

ニューズウィーク日本版

2002年7月3日号 P.74

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